苦しかった時の言葉

「孤独が一番辛いんだ。ドラッグだけが助けてくれた。」

「もう、自分の人生終わったと思った。ストリートにいるって、そうゆうことなんだ。」

「ドラッグなんてやりたくなかった。でもどうしようもなかったんだ。」

「ケガしてたって、病気になってたって、できることは何もないからね。ひたすら我慢さ。死ぬかもって思いながらね。」

「お腹が空いて目を覚まして、また今日どうやって食っていこう、とか考えなきゃいけない。生きるのが本当に嫌になるよ。」

「学校に行きたかったけど、行けなかった。」

「毎日、明日は何か食べるものがあるだろうかと心配だった。」

「絵を描いたことがないから描けない。」(当時10歳前後の子ども)

「僕は、お父さんが嫌いだ!」

孤児院来た後の言葉

「一度ドラッグが恋しくてストリートに逃げたけど、やっぱり辛く戻ったんだ。絶対殴られるって思ってたけど、新しい服くれて、抱きしめてくれたから驚いた。そんな事してくれたひとは初めてだったから。」

「いつ死んでやろうって、いつもそんな事ばかり考えてた。でもここにいると、そんな自分が間違ってたって信じれるんだ。」

「お腹好かせなくていいし、勉強もできる!」

「僕を選んでくれてありがとう!」

「屋根がある所で眠れるのが嬉しい!」

「毎日、お誕生日だったらいいなあ。」
(みんなが自分の為にお祝いしてくれる。そして美味しいケーキをお腹いっぱい食べれる。)

エピソード

「孤児院に来る前は裸のままだった男の子に、持って行った服を来てもらった。孤児院に来てから、ご支援で頂いた衣類の中から数枚の服と数本のズボンを彼用の棚に置いて、これは○○の服だからね、と言うと何とも嬉しそうな笑顔がかえってきた。

それから1日何回も自分の棚の前に立っては、これは僕の服なんだよね!?って繰り返し聞いてきた。私達にとって着る服があるのは当たり前だけれど、私達にとって当たり前が彼らにとっては当たり前でないということがわかって心が痛んだけれど、喜んでくれるのが本当に嬉しかった。」

「病気が有り周りにいる大人は誰も助けてくれず、見捨てられて骨と皮だけで来た赤ちゃん。お腹をとても空かせてミルクを飲みたいけれど吸う力も飲み込む力もない。でも、少しずつ作っては1日何回も哺乳瓶を口に持って行った。無表情が続いた。孤児院に来てから2週間が過ぎた頃、やっと口元が動いた。そして微笑んだ!私達に、大きな喜びだった!」

「孤児院に来た兄弟の親戚の方が、彼は大丈夫かと聞かれた。聞くと、弟の方が孤児院に来るまでは問題児だったらしい。けれど、孤児院では何の問題もなく、素直でこちらの言うこともよく聞いてくれるのでビックリした。弟に聞いてみると、本当だった。けれど、孤児院でいろいろな助けを受けて、とても嬉しくて感謝していると言ってくれた。」

SEKAI NO OWARIのみなさんのご寄付によって、
子どもたちのための新たな建物を借りました。

礎の石カンボジア孤児院では、大学生の子ども達に、自立していくための新たな環境を提供したいとずっと願っていました。しかし、私たちだけではそれを実現することが困難でした。
そんなときにSEKAI NO OWARIの皆さんと出会い、多額のご寄付をいただきました。
それによって、新たに建物を借りることが出来ました。 今大学生の子どもたちは、住み慣れた孤児院を離れ新たな環境で暮らしています。 大学での学びと共に、自分たちだけで生活していく中でも多くの学びがあるようです。 SEKAI NO OWARIの皆様には本当に感謝しています。

孤児院の子供達

シップ・メーン

僕の名前はシップ・メーンです。三人兄弟の末っ子 で生まれました。

幼い頃に父は死に、その後すぐに母は「私は自分の人生を生きたい」と言い家を出ていってしまいました。当時はとても大変でした。住んでいる場所は屋根もなく、毎日次の日の食べ物の心配をしていました。来る日も来る日も農作業をしていましたが、本当は僕は勉強をしたかったんです。しばらくは親戚が僕たちの面倒見てくれていましたが段々経済的に厳しくなってきました。

僕たちは孤児院に預けられました。孤児院では毎日屋根のある場所で寝ることが出来、明日の食べ物を心配する必要がありませんでした。そして学校へ通うことが出来ました。僕はやればやるほど勉強が好きになりました。大学では建築学を学んでいます。将来は建築士になりたいと思っています。

孤児院の別棟での生活はとても快適です。しっかり勉強を出来る環境、そして自立へと向かっていける環境を作ってくださった深瀬さんに心から感謝しています。

ヴォッティ

幼い頃父は亡くなり、母も私を育てる経済力がありませんでした。はじめは教会に預けられて いましたが、その後、孤児院に行くことになりました。私が10歳のときのことでした。

当時私は読み書きをすることが出来ませんでした。学校に行きたいと思っていましたが、読み書きができないので断られてしまいました。ずっと勉強がしたかったので本当に残念な気持ちになりました。

孤児院のスタッフの方はそれでも諦めずに頼み続けてくれました。すると幼稚園の子ども達に交じって勉強を出来ることになりました。とても嬉しかったのを覚えています。本当に一生懸命勉強をしました。同い年の子たちに追いつくために頑張って、何度か飛び級することも出来ました。

今、私は大学で法学を学び、弁護士を目指しています。勉強できる環境を与えてくださった深瀬さんに感謝しています。

カンボジアの子どもたちが招かれました

2016年6月14日~20日、カンボジア孤児院の子どもたち9名とカンボジア孤児院責任者のルツ前田さんが、SEKAI NO OWARIのFukaseさんよりご招待を受けて日本でご自宅、コンサートに招かれ、1週間滞在いたしました。

SEKAI NO OWARIとの出会い

4人組バンド「SEKAI NO OWARI」のボーカルFUKASEさんが礎の石孤児院のホームページをご覧になり、事務局にメールをいただいたのが始まりでした。(2014年7月)
以前から孤児院の支援のことを考えておられたFUKASEさんはSAORIさんと共に貴重な1日の夏休みを利用して、礎の石孤児院・東京事務局を訪問してくださいました。FUKASEさんとSAORIさんは孤児院に関することを熱心に質問されてこられたのが印象的でした。